[↓1999年][↑2001年]

2000年に観た映画の一覧です

今年の標語: いい映画だけ観よう。デキの悪いのを観ても何の足しにもならない。(と芥川龍之介も書いている。)

Best10です。(旧作は含んでいません。ただし日本初公開作は新作扱い)

  1. #3「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」ヴィム・ヴェンダース/1999/独=米=仏=キューバ
  2. #39「あの子を探して」張藝謀/1999/中国
  3. #36「沈む街」章明/1996/中国
  4. #91「プラットホーム」賈樟柯/2000/香港=日本=仏
  5. #1「一瞬の夢」賈樟柯/1997/中国=香港
  6. #63「ヤンヤン 夏の想い出」楊徳昌/2000/台湾=日本
  7. #23「花火降る夏」陳果/1998/香港
  8. #86「春香伝」林權澤/2000/韓国
  9. #13「フェリシアの旅」アトム・エゴヤン/1999/英=加
  10. #55「顔」阪本順治/1999/東京テアトル

星の見方(以前観たものには付いてません)
★★…生きててよかった。
★…なかなかやるじゃん。
無印…ま、こんなもんでしょう。
▽…お金を返してください。
凡例
#通し番号「邦題」監督/製作年/製作国/鑑賞日/会場[星]

#94「ただいま」張元/1999/中国=伊/Dec. 30/テアトル池袋
優等生と劣等生の姉妹がいて、それぞれ父親と母親の連れ子で、ある日姉はくすねた父親の5元札を妹の枕の下に隠す。これが原因で起る悲しい事件。17年の間妹は刑務所で更生するのに、実娘を失った父親は無為に過ごすというのが問題じゃないか。教育が必要なのはむしろ父親の方である。でないと、再会してもうまくいかないぞ。まあ映画では時間がないので、1時間もたたないうちにうまくいってしまうのだが…。それにしても今年は中国電影が豊作でした。第六世代は素晴らしいぞ。
#93「バトル・ロワイアル」深作欣二/2000/東映/Dec. 26/チネチッタ1
“人を殺してはいけない”というお題目が通じない場所−そんな場所があるということは残念だが−は戦場だけ。彼らは合法的に作られた戦場に送り込まれた。そこで深作がやりたい放題爆発だ。一人ひとりの殺し方とか楽しんで考えたんだろな。それでも、どこかで問題にしているような作品ではない。一線は越えていないのだ。極限状態に置かれたときに人間がどのような行動を取るのか、考えられるあらゆるタイプが中学生の姿で出現する。さて僕はどのタイプだろう?
#92「三文役者」新藤兼人/2000/近代映画協会/Dec. 24/テアトル新宿
殿山泰司の映画のはずだが、僕には乙羽信子の比重が高く感じられた。これだから新藤兼人の映画は苦手なのだ。製作経緯を知らないのでなんだが、乙羽はすでに亡くなっているはずなのに、いつ撮ったのか?不思議だ。背景が暗くてあの世から話しかけているようなのが不気味だった。まあいい、殿山泰司だ。殿山泰司といえば『お早よう』の押売りだね。鉛筆、ゴム紐、亀の子タワシ。あと『愛のコリーダ』も印象に残っている。いいじいさんだったな。竹中直人は元本職だけあって、流石にまねが巧かった。
#91「プラットホーム」賈樟柯/2000/香港=日本=仏/Dec. 24/ル テアトル銀座(東京FILMeX)★
ジャッジャッジャンク、ジャッジャッジャンク、ジャッジャッジャンク、ジャッジャッジャンク、賈樟柯ー♪(曲:服部良一) 今年最初に第一作を観て、クリスマスイヴに第二作を観る。しあわせじゃありませんか、テーマソングのひとつやふたつ口ずさもうってもんです。前作が手持ちキャメラで瑞々しかったのに対して、今回のじっくり長回しの堂々としたこと。まったくあの高浪敬太郎みたいな顔で、凄い映画を撮るものです。なんていうんでしょうか、小坂さん。2時間版がどうなるかも楽しみですね。前日夜、久しぶりに『狼/男たちの挽歌・最終章』をLDで観たのだけど、葉[艸/倩]文が唄っていた曲が本作でも流れてきたぞ(もちろん北京語バージョン)。偶然かなあ?
#90「天上の恋歌こいうた」余力爲/1999/香港/Dec. 21/ル テアトル銀座(東京FILMeX)
売春婦(王寧)を軸に、悪徳AV屋(梁家輝)、エレベーターおばさん(呂麗萍)、エレベーター修理屋(誰?これ)が織りなす、天上=回帰後の香港の物語。最近行っていないけれど、旺角の映像を見るかぎり何にも変わっていないようです。あ、ちょいと幸福城で朝食が食べたくなってきた。呂も久しぶりに見たけれど、『青い凧』の頃から年取ってないですね。この映画でも[登β]麗君の歌が頻繁に流れてて、彼女が本当に全世界の中国人に親しまれていることがわかります。日本人の僕も好き。帰りがけ、あのMr. ポーカーフェイス『ジャッキー』フー氏が階段のところにいましたよ。彼も[登β]麗君のファンかな? それにしても、ずっと東京にいるんですかね?
#89「いわゆる親友」戴泰龍,連錦華/2000/台湾/Dec. 21/ル テアトル銀座(東京FILMeX)
北京に来た台湾人が、現地でできた友人達に付き合ううち帰れなくなり、ささいな事件がいろいろ起きる。少し実験的なシナリオは、結構面白かった。北京、いいなあ。映画では[登β]麗君の死が報道され、登場人物も彼女の歌を口ずさむ。ホッタラー、ホッタラー♪ あ、これは違うか。Good bye my love 我的愛人、再見♪ ◇FILMeXの企画はあの市山さんだ。ティーチインの通訳はあの小坂さんだ。ふんふん(納得の頷き)。難癖をつけるとすれば会場だな。元銀座セゾン劇場のここは、椅子の座り心地が悪い、トイレが少ない、飲食禁止と悪条件を三つも備えている。広くて空いているのはいいけどね。
#88「静かな生活」ソフラブ・シャヒド=サレス/1975/イラン/Dec. 21/ル テアトル銀座(東京FILMeX)★
単純な出来事』と同様に、何も起らない映画。踏切番の老人の毎日をじっと見詰めるキャメラ。誰が待つでもない踏切を下げて、列車が通りすぎればまた上げる。角砂糖をちょいとお茶に浸し口に含んでお茶をすすり(これがおいしそうなんだな)、暗くなったら食事。老妻は新しいチャドルが欲しいという。老人は茶葉を買うのを忘れる。これが何度も画面で繰り返される。僕は魔法でもかけられたように、感動せずにはいられない。小津はこういうことを何本もの作品を使ってなしとげた。この監督はそれを一作品でやっているのだ。
#87「単純な出来事」ソフラブ・シャヒド=サレス/1972/イラン/Dec. 21/ル テアトル銀座(東京FILMeX)★
キアロスタミやマフマルバフが敬愛するという映画作家の作品を、《アジア秀作映画週間》が帰ってきたような《東京FILMeX》なる新しい映画祭で特集上映。これは監督の長編デビュー作。少年の日常を淡々と描く。学校に行って、お父さんの採ってきた魚をお店に売りに行き、代金をカフェで酒を飲んでいるお父さんに届け、うちに帰ってごはんを食べ、お母さんのために水を汲み、ふとんを敷いて寝る。同じ日々が繰り返される。何も変わらない。母親が病気で死ぬ。それでも、何も変わらない。少年は走り続け、成長していくだろう。
#86「春香伝」林權澤/2000/韓国/Dec. 9/シネ・ラ・セット★
人間国宝のパンソリ歌手チョ・サンヒョンの公演を裏に、彩り豊かなコスチューム・プレイを表に、韓国の古典的かつ人気の高い物語が繰り広げられる。妓生の娘・春香が貴族の息子と結ばれる一種のシンデレラ・ストーリーの上に、春香を虐待し死刑にしようとする長官を『水戸黄門』みたいに成敗するのだから、大衆に受けないはずがない。この《巨匠》と呼ばれる監督はかなり楽しんで作ったに違いなく、画面に余裕が漂う。パンソリは、聞いているとお腹に力が入るので、座っているだけでお腹が空く。そこで夕食はデリーのディナーセットにした。
#85「2H」李纓/1999/龍影/Dec. 9/シアター・イメージフォーラム
パワフルなドキュメンタリー・フィルムである。何がパワフルかって、主役の100歳近いじいさん。雲南出身だというこの人はかつては国民党の将軍だったそうで、蒋介石と一緒の写真があったりアメリカから贈られたという勲章を持っていたりする。そんな人が何で東京で晩年を一人過ごしているのかは謎だ。プライド+頑固さで支援者と喧嘩ばかり。これを捉えるディジタルヴィデオカメラは彼の生活にぴったり貼り付き、遠近自由自在。亡くなったとき、出棺シーンの前に生前に撮っておいた彼の着替え姿を延々と流すところに編集の妙を見せてもいる。この劇場には初めて来たが、悪くない。ないが、後ろに老母娘が座ってヒソヒソずっと喋っていたのに閉口した。
#84「新・仁義なき戦い。」阪本順治/2000/東映/Dec. 2/丸の内東映
チャーン、チャーン、チャーン♪ いつだったか、この懐かしくも血騒ぐ音楽が流れ予告篇が始まったとき、本作品を観ることが決まった。しかし、本編冒頭、ヴィスタ画面にこじんまり収まったタイトルが目に入ると、失望の念を禁じえなかった。深作欣二はどう思っているか知らないが、『仁義なき戦い』を名乗るからにはシネスコ・手持ちキャメラでなきゃね。冬だからということもないだろうけど、映画の中で西瓜も食べているのだけれど、全く暑さが感じられない。クールなのだ。『仁義…』でないと思えば、これはこれで立派な阪本作品として納得できるのだけれど。さあ、欲求不満解消に、これからオリジナル(LD)を観るぞ。ところでタイトルのおしまいに付いている“。”は何ですか?
#83「太白山脈」林權澤/1994/韓国/Dec. 2/銀座シネ・ラ・セット★
日帝の侵略が終了した1945年、同じ民族間で殺し合い、騙しあう悲惨な右翼対左翼の内戦が始まった。この時代を、庶民のレベルで綴った重厚な作品。シチュエーションだけでいえば韓国版『悲情城市』と呼べなくもない。映画の舞台となる町は日ごとに変化する戦況によって、支配者が替わる。それに伴い、今日の良民も明日は粛清される身かもしれない狂気の世界。これが現実に起った(もちろんどこでも起りえる)ことなのだ。だいたい両極端なんだ。完全な自由主義社会は貧対富の増悪対決になるのは必至だし、そこから生まれるとされる共産社会なんて、人間同士がとことん殺し合ったって実現できっこない。殺し合いじゃ人間の本能まで変わらないからね。あいも変わらず出演のアン・ソンギ演じる教師は、その辺のところが分かっている良識者だが、日和見主義者あるいは虚無主義者扱い。まったく全体主義に陥った人間は恐ろしい。
#82「ひとめ惚れ」劉偉強/2000/香港/Nov. 26/テアトル池袋
ラブソング』の張曼玉=黎明コンビが三藩市を舞台に一本撮ったと聞けば、これは観に行かなくてはなりません。舞台はダウンタウンを中心に、英題になっているサウサリート(ゴールデンゲートブリッジを渡ったところにある高級住宅地)とベイブリッジを渡った高台(どこかよくわからなかった)にあるらしい黎明の自宅。海外ロケにありがちな観光案内という感じではなく、ごく自然。自然じゃなかったのはキャメラワーク。劉偉強だからね。黎明の職業に対するアレルギーみたいなものもあって、ちょいとひいてしまいました。トイレにも行きたかったし。黎明の会社を買収しようとするバージニアを演じていたのは周嘉玲だと思うけど、だいぶ顔が変わりましたね。もしかして全くの別人?
#81「暖流」増村保造/1957/大映/Nov. 26/ユーロスペース2
千羽鶴』に引き続き、吉村公三郎作品を大映流にリメイクした代物。佐分利信=高峰三枝子=水戸光子という三角関係は、根上淳=野添ひとみ=左幸子などという貧弱なキャストに置き換わっている。まあシナリオ自体コメディに変えられているので、面白ければいいのかもしれない。そんなわけで、斎藤達雄の役どころを引き継いだ船越英二におのずと注目が集まるのである。この人、以前からおかしいとは思っていたが、本作ではそれが周りから浮くほどに、いや、周りを巻き込んで異彩を放っていた。まったく、妙な歌は唄わないでいただきたい。僕は君が好きぃ〜♪(嫌いだよ。)
#80「大地の子守歌」増村保造/1976/行動社=木村プロ/Nov. 23/ユーロスペース2
原田美枝子が16歳のときに主演した作品。きょうは増村監督の命日だそうで、上映後に原田さんを招いてのトークショーがあった。今年で40歳? 確かにそれなりの歳に見えるものの、美しいことには変わりがない。ダイヤモンドのネックレスが眩しかった。映画は原田が(呼捨て御免)不幸な境遇の中でむちゃくちゃ強く生き、弱視になってしまった最後には女郎屋から抜け出してお遍路さんになる話。演技が堀ちえみか伊藤麻衣子かという力みようで、観ている方も肩が凝った。本人の弁によれば監督の指示だそうだ。晩年の田中絹代が特別出演しているのが貴重。
#79「美術館の隣の動物園」イ・ジョンヒャン/1998/韓国/Nov. 23/シネマ・カリテ3
最初はいがみ合っているのにだんだん心が傾いていってハッピーエンドとなる、ありがちなストーリー。主役がシム・ウナだから観たようなものだが、彼女と彼女の部屋の居候に突然なった男が映画のためのシナリオを書いていて、これが劇中劇のように進行するのが面白かった。こんな映画にまで出ているアン・ソンギ。大したものだ。いったい彼のフィルモグラフィはどうなっているのか? この映画館には久しぶりにやって来た。いつのまにかシネコンみたいに改装されていてびっくり。
#78「卍(まんじ)」増村保造/1964/大映/Nov. 18/ユーロスペース2
いま住んでいるアパートはいわゆる谷戸のなかにあって地上波TVが映らない。そのため、スカパーと契約しTVといえばもっぱらCS放送を見ている。デフォルトはTBS系のニュースチャンネル《JNNニュースバード》。このチャンネルは7人の女性キャスターが一日3交替でニュースを24時間流している。いつも見ているとお気に入りのキャスターというのができるもので、今年は江連裕子さんに注目中。いままで彼女は若い頃の岩下志麻に似ていると思っていたのだが、本作品を観て(やっと本題です)新発見。彼女が岩下志麻に似ているのは顔の上半分で、下半分は岸田今日子の若い頃に似ているのだった。秋刀魚な人である。えーと、映画の方はまたまた若尾の悪女ぶりがあきれるほど。岸田のギラギラしたまなざしも怖かった。
#77「刺青(いれずみ)」増村保造/1966/大映/Nov. 18/ユーロスペース2
増村作品というのはほとんど過去に観ていない。検索しても『盲獣』と『美貌に罪あり』しか出てこない。そんなとこだろう。増村といえば若尾文子なのだが、彼女は趣味どころか嫌いなタイプだからだ。今回はユーロスペースが“増村保造レトロスぺクティヴ”という特集上映をやっていて、ぴあを眺めているといやが応にも目に入るし、一連の文学作品の映画化には多少の興味もあるので観に来たというわけである。とはいうものの実は谷崎は読んだことがないので原作はさておいて(おいおい)、大店の娘のはずの若尾のあばずれ・残忍・冷血具合の凄さをとことん味わった。こんな女では、さすがの須賀不二男も佐藤慶も形なしである。
#76「千羽鶴」増村保造/1969/大映/Nov. 18/ユーロスペース2
今年2本目の『千羽鶴』。前回は木暮実千代=杉村春子=森雅之だったのに対し、今回のは若尾文子=京マチ子=平幹二朗というキャスト。明らかに平が役不足である。若尾がメソメソ、ベタベタ、クネクネ、ナヨナヨ、ああ大変だ。あんなのに取り憑かれたら人生お終い。川端先生もえらい小説を書いたものだ。平の家とその近くのトンネルにはどうも見覚えがあると思い、きょう(11/19)、買物に行くのに回り道して確認した。確かに扇ヶ谷のとある場所だったが、残念なことに数カ月前にはあった建物がなくなっていた。
#75「グリーン・デスティニー」李安/2000/米=中国/Nov. 17/渋谷東急
ワイヤーワークを飽きるまで見せてくれる、李安による武術映画。あの周潤發が高い竹の上に立ってしまうのだ。すごいですねえ。彼や楊紫瓊の落ち着いた姿勢と章子怡と張震のエネルギッシュな動作の対照がよろしい。この主人公4人が何を考えているのかいまひとつわからないのが不満といえば不満だが、まあストーリーが問題な映画じゃないですから。胡金銓へのオマージュということで納得しましょう。“ゆ〜う〜きゅ〜うきゅうかあでえ〜、のんびりすうごおしまあしょお〜♪”((C)PIZZICATO FIVE)といくはずだったのに、結局3本も映画を観てしまった金曜日でした。
#74「スペース・カウボーイ」クリント・イーストウッド/2000/米/Nov. 17/渋谷東急2
イーストウッドじいさんが宇宙に行く話だ。それだけで面白そうですよね。引退した老人がたっとひと月のトレーニングでスペースシャトルを操縦して宇宙に行けるとはとても思えないが、それをやってしまうのがイーストウッドという人だ。地球の危機を救い、地上に無事生還。一番の悪玉は元上官なわけだが、これをとことん追及せずに終わるところが、いままでの完璧勧善懲悪パターンとは違う。おそらく、それよりもラストショットが撮りたかったのでしょう。それもまたよし。Take me to the moon♪
#73「智恵子抄」熊谷久虎/1957/東宝/Nov. 17/ラピュタ阿佐ケ谷
熊谷は原節子の義兄で、原の芸能活動に大きな影響力を持っていたほか、原を思想的に危ない方向へ洗脳した人物らしい。そんな奴が作った、しかも原主演で撮った映画なので興味が湧き、最近取っていなかった有給休暇を使って観に行った。が、意外にも映画としてはまともで少々がっかり。(別にがっかりすることはないが…) 原がもちろん智恵子の役であり、精神を病んでからの演技はうまいとはいえないまでも、その哀れさと山村聰演じるところの高村光太郎の智恵子への想いは十分に感じることができた。
#72「初恋のきた道」張藝謀/2000/中国/Nov. 5/シアターコクーン(TIFF)
アイドル映画である。章子怡が、走って、見詰めて、聴いて、待ち続ける。まさにこれだけである。キャメラワークもそれっぽい。これでここまで魅せるのは、さすが世界の張藝謀だ。ただ、息子が両親の恋を詳細に語るのは現実には不可能。それを敢えてやらせることに、個人的に疑問を感じてしまう。ティーチインの拍手は凄かった。北京語通訳が小坂さんでなかったけど、あの人も去ってしまったのでしょうか? とにかく、これで映画祭も終了。閉館後、外で監督が出てくるのを待つ人の中に、相変わらずのポーカーフェイスで花束を持った『ジャッキー』フー氏がいた。
#71「少年と兵士」セイエッド・レザ・ミル=キャリミ/2000/イラン/Nov. 5/シアターコクーン(TIFF)
正直者の青年兵士と少年院を脱走してきたこずるい少年。青年が少年を護送していくうち、いくばくか心が動く。いかにもイランが作りそうな映画だな…。うーいかんいかん、ここんとこどうも映画を斜に構えて観ているような気がする。自己嫌悪である。映画はもっと素直に観よう。イランの風景は砂漠であれ、街であれ、相変わらず美しい。
#70「ジャッキー」ブラト・ラティフィー,フーピン・フー/2000/オランダ/Nov. 5/シアターコクーン(TIFF)
かわいそうなことに、終映時に拍手がなかった。そんなに悪いデキじゃないと思うけれど、脚本・演出ともにまだまだというのは否めないでしょう。まあ長編第一作ということなので、今後に期待しようじゃないですか。話は、アムステルダムに住む中国人のアイデンティティに関するもの。似たようなテーマのを昨日も観ましたが、こちらは光が見えることなく完結。中国人の方の監督・フーさんが主演もしているのだが、表情が乏しいため何を考えているのかまったくわからない。演技かと思ったら、ティーチインでも同じでした。
#69「エスペランド・アル・メシアス」ダニエル・ブルマン/2000/アルゼンチン/Nov. 4/シアターコクーン(TIFF)
ブエノスアイレスに住むユダヤ人のアイデンティティに関するお話。母を失った青年がTV局に就職し、なんとなくフィアンセっぽかった子からレズビアンの同僚へ心変わりしていく中で大人になる。一方、バブル崩壊で職を失いホームレスとなった元銀行員は、夫が刑務所にいるトイレの掃除婦と徐々に心を通わせ、人間的な安らぎを得る。主役の青年よりも準主役の元銀行員の方が面白かった。あっちに焦点をあてるとどんな映画になっただろう? 行ったことのあるブエノスアイレスなのに、わかる場所がオベリスコだけだった。ユダヤ人街がどこかも知らないし。ブエノスアイレスも広うござんす。ところで、http://we're-not-lonely.com/(違ったかな?)なんてサイトがあるわけないじゃないか。
#68「3人兄弟」セリック・アプリモフ/2000/カザフスタン=日本/Nov. 4/シアターコクーン(TIFF)
西部劇に出てきそうなカザフスタンの片田舎。いたずらしかやることのない思春期の少年たち。機関車の墓場を管理するじいさんから、女の子と遊べる湖のことを聞き、機関車を一台ちょろまかして出発。近くの空軍基地では、訓練用目標として機関車を使っていた…。少年のなかに3人兄弟がいるのだが、長男と三男しか記憶にないぞ。こういう中央アジア系の映画って、概して素朴でおおらかで、普段のコテコテな映画を見慣れていると、なんとなくよく見えてしまうものだと経験的に感じる。少し寝たからいうわけじゃないけど、この作品自体は僕にはいまひとつピンと来ませんでした。でも、アジア映画賞を取ったらしいです。おめでとう。
#67「アリ・ザウア」ナビーユ・アユーシュ/2000/モロッコ=仏/Nov. 4/シアターコクーン(TIFF)★
カサブランカに住むストリートチルドレンのお話。題名はその一人の名前で、彼は開始まもなく死んでしまう。といって、内容はそこから時間を遡ることもない。主役は彼の友達3人。突然死んでしまった人生のリーダーを埋葬するために奔走する。母親への思慕、女学生への仄かな憧れ、夢想の描写が実にいい。女子学生の制服は化学実験のときに着る白衣のようだったが、あれが普通なのかな?
#66「千言萬語」許鞍華/1999/香港/Nov. 3/渋谷東急(香港映画祭)
甜密密』に続く(かどうかは知らないが)[登β]麗君ソングもの、というと実際から全くかけ離れた内容を連想しそうだが、香港の社会運動に関わった実在の名もない人たちにスポットを当てたシリアスな作品。主演の一人に李康生。『』つながりで出演依頼したに違いないが、彼は広東語ができないから声は吹替え。いつもと違う声だとどうもしっくり来ない。そうそう、黄秋生がパンダTシャツを着ていて、隣に座っていた奥さんが狂喜乱舞していた(嘘)。上映後、監督を迎えてのティーチインあり。こんなところにいたんですね、市山さん。
#65「鎗火」杜[王其]峰/1999/香港/Nov. 3/渋谷東急(香港映画祭)
仕事が晴れて一段落。さあ日程残り少ない映画祭に出動だ。冒頭の音楽は『仁義なき戦い』のよう。5人のボディガードのさまは『レザボア・ドッグス』のよう。クールである。なんで敵をさっさと殺らずにいたぶったり泳がせたりするのか、そんな疑問はこの作品では不要。プロの仕事だ。主役の面々が、香港の悪役商会みたいな黄秋生やら張耀揚やらで、やたらと渋い。終わり方からすると続編もありそうだ。
#64「ある詩人」ガリン・ヌグロホ/1999/インドネシア/Oct. 28/渋東シネタワー3(TIFF)
今年の東京国際映画祭は、仕事がちょうど忙しいので有給休暇も取れず、前半は今日だけというなんとも無念のスケジュールである。午前中仕事をして、その足で渋谷へ。映画祭は年々淋しくなり、資金繰りも大変のようで、上映前にはスポンサーのCFが延々と続く。今年は日立もスポンサーを下りたんだなあ。シネマプリズムのコーディネーターは今年は市山氏じゃないぞ、どうしたんだろう? なあんてことを長々と書いているのは、眠ってしまったからだ。わはは。ディジタルヴィデオで撮影したという彩度を極端に落とした映像は、疲れた脳には催眠効果があるらしい。
#63「ヤンヤン 夏の想い出」楊徳昌/2000/台湾=日本/Oct. 28/渋東シネタワー3(TIFF)★
群像劇に定評ある監督だが、これまでは若い世代に絞った描写をしていた。今回は違う。あらゆる世代の主役(家族)を配しそれぞれの人生の断面を見せることで、人生を凝縮させるという小津もびっくりの技巧である。小津といえば、この映画には熱海が出てくる。観光ホテルでの障子をバックにした呉念眞のシルエット。うーむ。登場人物はみんな何かを忘れる。それも人生。彼らの話の端々に監督の人生論。映画を観ると人生が3倍になる。いいですね。これからもどんどん観ましょう。
#62「ペパーミント・キャンディー」イ・チャンドン/1999/日本=韓国/Oct. 21/キネカ大森1
一時期のインド映画ブームはどこかに吹き飛び、今は韓国映画が旬らしい。本編が始まる前には延々と韓国映画の予告篇が続いた。それインドだ、それ今度当たるのは韓国だ、と配給会社もご苦労さんなものだ。そんな中で香港ものも2つほどかかったが、『決戦紫禁城』、なんですかあれは?香港映画の黄昏を感じざるを得ない。予告の話はこれくらいにして…、本編は時間を逆行させるやり方が面白い。時間逆行のやり方というのは、A,B,C,Dの順に起きた事象をD→A,B,C,Dという風に、一度逆行させた後は順にストーリーが進んで最初のシーンに戻ってくるのが基本で、多くはこのバリエーションである。が、この作品ではD,C,B,Aとどんどん時間を逆行させる。Dを見て、あることに疑問を抱くと、Cでその原因がわかる。Cで新たな事件がある。その原因はBを見て納得する。そんな具合にできている。Dに帰ってこないのに、AがDを連想させるようにできているのがミソである。時間を遡る際に、列車が線路を走るのを逆回しで見せるのが陳腐なのが残念。話は1999年に始まり、1979年で終わる。優しかった主人公(こいつは明石家さんまと内野聖陽 を足して2で割ったような顔だ)が人生を大きく転換させられたのは光州事件とのこと。こういうことがよく分かっていると(語弊があるかもしれないが)より楽しめるのだが。知識(あるいは勉強)不足だな。
#61「天使も夢を見る」川島雄三/1951/松竹大船/Oct. 1/ラピュタ阿佐ケ谷
お茶漬の味』に先駆けること一年。鶴田浩二・津島恵子コンビのさわやか喜劇です。(フミも出てきます。)津島はまたまたお嬢さん役だ。今度の父親は河村犂吉で、製薬会社の社長令嬢という設定。歯に衣着せない物言いで社長もタジタジの社員が、もちろん我らがノンちゃんであります。津島と鶴田はお約束通りくっついてめでたしめでたし。このコンビ、ほかにもやってるのかな? ならちょいと観たいですね。帰りに“とんとんとんかつ食ひたいな♪”の蓬莱屋でカツレツ食べて僕もはっぴー。
#60「二十四の瞳」木下恵介/1954/松竹大船/Oct. 1/ラピュタ阿佐ケ谷
壺井栄の原作を映画化した、題名だけは誰でも知っているであろう作品。木下作品ということもあり、いままで観たことがなかったが、高峰秀子特集が始まってなんとなく観る気になった。昭和2年〜21年までの小豆島を舞台に、先生と教え子の関係が大河ドラマ風に描かれる。そういうのってデコちゃん得意ですね。最初新任教師だったから終わりはまだ40歳過ぎだと思うけれど、いやに老けてたのは戦争のせいなんでしょうか? 意外にドラマがないのが気に入りました。笠智衆も浪花千栄子も出てきたし。デコちゃんの旦那が若き日の天本英世だったのが、なんというか驚きでした。
#59「安城家の舞踏会」吉村公三郎/1947/松竹大船/Oct. 1/ラピュタ阿佐ケ谷
没落華族の最後の舞踏会の夜を舞台に、原節子演じる娘が絶望の一族に明日への希望を与える話だ。兄に森雅之。相変わらず女を騙している。叔父に日守新一。相変わらずだったけど、少し年取ってた。ヤミ屋成金の娘で森の婚約者に津島恵子。若い頃は太ってたんだな。プライベートビーチにヤシの木まであって、安城家はどこにあったのかなあ?(→1回目
#58「マルコヴィッチの穴」スパイク・ジョーンズ/1999/米/Sep. 23/渋谷東急
この映画の企画を持ち込まれたプロデューサーはどんな反応を示しただろうか? 僕が『Being John Markovich』というタイトルの映画が公開されることを半年前頃知ったときは、笑うしかなかった。なんという奇抜な発想。なんでマルコヴィッチ? 実際に観てみると、穴をつたってマルコヴィッチの脳に入るという基本コンセプト以外のところもやたらと凝っていて、この新人監督の異能なことが窺えた。こんなの作ると次回作が大変だよん。で結局、なんで7 1/2階が作られたのかな? 僕はそれが知りたい。
#57「お嬢さん乾杯」木下恵介/1949/松竹/Sep. 16/フィルムセンター
自動車修理業でひと山当てた青年・佐野周二と、父親が刑務所暮らしで財産はすべて抵当に入っているという元お嬢さん・原節子の結婚への喜怒哀楽をドタバタで見せる松竹正調喜劇。はっきり言えば、このような作品は現在なら地上波(つまりタダで見られる)TVの一ドラマで十分であり、あの時代だから映画として存在し得たといえる。原が見られるということを考慮したって1,800円はもったいない。佐野の弟分として佐田啓二が出演しているのだが、佐野がこういったコメディも堂々とこなしているのに対して、佐田はどうもさまにならない。俳優としては佐野の方が数段上手ということが改めて分かる。颱風の土曜日、帰ろうと思ったら横須賀線が止ってた。
#56「黒いオルフェ」マルセル・カミュ/1959/仏=ブラジル/Sep. 16/シネマライズ(2F)
颱風の影響でなんだか怪しい天気だったが予定通り『オルフェ』のオリジナルを観に渋谷まで出かけた。ギターを弾くと太陽が昇るなんて、そりゃ日の出直前なら誰が弾いても昇りまんがな。なーんてことを言っちゃいけませんね。あくまでそれはオルフェだからできる魔法なのであります。最後にタンバリンのガキんちょが形見となったオルフェのギターでそれをやってみせるわけですが、それもそのはず。何を隠そう、リメイク版のオルフェは彼が成長した姿なのです。僕の勝手な説ではありますが、間違っていない気がする。リメイクを作るのもなかなか楽しそう。
#55「」阪本順治/1999/東京テアトル/Sep. 9/テアトル新宿
最近パンダ・ゴロの奥さんは、一般公開になった『ホールド・ユー・タイト』を観に行った。(映画はパンダとは一切関係ありません。) 僕は一度観た作品はあまり映画館では観ないので遠慮。うちにはVCDもあるし、作品の水準からして、出ればDVDも買うだろうし。で、その間、僕はこれを観た。藤山直美といえば藤山寛美の娘で、昔NHKの連ドラでいじわるな役をやってたのを憶えているけど、さすがに演技がうまい。ネクラでうちに閉じこもる年増女(藤山)が妹(牧瀬里穂)を殺して逃亡。それからラブホテル従業員、クラブホステス、島での干物作りと変貌していくさまを実に見事に演じている。題名が示すとおり、表情の変化がいいですね。それにしても、習ったばかりの自転車や水泳で逃げていくのがおかしい。これも立派なロードムービーです。
#54「オルフェ」カルロス・ヂエギス/1999/ブラジル/Sep. 9/シネマライズ(2F)
何を隠そう、僕の生涯ベストは山中貞雄の『丹下左膳餘話 百萬両の壺』でも清水宏の『有りがたうさん』(VHS所有;映画館では未見)でも、なんと小津安二郎の『麦秋』でもなくて、ジャン・コクトーの『オルフェ』なのです。改めてDVDで観ると映画としてはそんなでもない気もしますが、あのときのインパクトはいまでも憶えていてこの作品を僕にとって特別なものにしています。フィルム逆回しなどのチープなトリックがむちゃくちゃいいです。さて、今回観た作品はこのコクトー版ではなく『黒いオルフェ』のリメイク。『黒いオルフェ』は残念ながら未見(現在上映中なので観る予定)ですが、アントニオ・カルロス・ジョビンが音楽を担当していることで有名なやつです。もちろん旧作はボサノヴァなわけですが、新作はサンバ+ラップ。悪くはないけど、やっぱりブラジルならボッサですよね。
#53「白雪先生と子供たち」吉村廉/1950/東宝/Sep. 9/ラピュタ阿佐ケ谷
今度の原節子は小学校の先生。とても子供想いで生徒から慕われている。どんなに子供想いかというと、PTA会長が経営する染料工場の有毒排水が小学校の池に流入し魚が死ぬため会長に排出をやめるよう抗議に行くのだが、理由が“子供たちがかわいそう”。おいおい、そんなことより環境問題を考えてくださいよ。最後には和解するのだが、その内容も“排水は他所に流すようにする”。これで文部省推薦。環境庁はまだなかったの? 基本的に子供映画だが、清水宏とかと違って、子供に演技させてるのでいまひとつ生き生きしたところに欠けましたね。ずいぶん阿佐ケ谷に通ったけど、これから数週間は小津作品がかかるのでしばし休憩です。
#52「愛情の決算」佐分利信/1956/東宝/Sep. 2/ラピュタ阿佐ケ谷
戦争が終わってふ抜けになってしまった元軍曹の佐分利信が、佐分利の元部下でフィリピンで死んだ内田良平の未亡人・原節子と結婚するが、やはり佐分利の元部下の三船敏郎と原ができてしまい10年の結婚生活が破綻する。意外に面白かったです。佐分利の演出は、大きな時間のループを作ったりしてなかなか堂に入っていたし、敗戦直後から10年間での風俗や人の変化がうまく描かれていた。ところでこの特集にやってくるのは大半がじいさん、ばあさんである。普段から暇なはずなのになぜ土曜日にやって来るのかは知らないが、あの方達はよく知らない人に話しかけ、昔の映画の話から始まっていろいろ自分の知っていることを披露するのが趣味らしい。端で聞いていると、一旦つかまると聞き手は終わりのない無限地獄にはまるようなので、できるだけ距離をおくことにしている。でも、僕も将来あんなになったりして…。(ならないと思うけど。)
#51「続・青い山脈」今井正/1949/東宝/Sep. 2/ラピュタ阿佐ケ谷
世の中には、実に下らないにもかかわらず最後まで観ていて飽きない不思議な映画があるものだ。この『続』もそんな一本。とある私立女学校の風紀を巡り原節子演じる新任教師を中心とする改革派と三島雅夫演じる理事長を中心とする保守派の争いに決着をつけるのが本編のメイントピックである。といっても繰り広げられるのは、理事会での参加者による下らない発言ばかり。この内容と“青い山脈”には何の関連があるというのか?と変なことにまで突っ込みたくなる。それでも面白く感じるのは、見慣れた俳優が(僕の)よく知らない監督のもとでも、やはりいつもと同じような演技をしているからかもしれない。原節子は『晩春』よりずっときれいに見えるぞ。2cmくらいあるつけまつげのせいか? まさかね。間近で見ると怖そう。
#50「青い山脈」今井正/1949/東宝/Aug. 26/ラピュタ阿佐ケ谷
昔の映画を観ると俳優がとても若くて、そんなのは当然にもかかわらず驚くことがしばしばある。原節子は『晩春』と同じ年なので見慣れているし杉葉子も知っている顔と大差なかったのだが、池部良は断然若かった。これが15年後に健さんと長ドス持って殴り込みするようになるわけだ。作品は2部構成で来週の『続』をまだ観ていないので断言できないが、どうやら原節子を主役の熱血教師に据えた『飛び出せ!青春』みたいなもんらしい。理想主義を押し通し観衆をスカッとさせる趣向なのだろう。ただしテーマは真面目でギャグもほとんどない。そんなわけで敵役で封建主義の塊を演じる三島雅夫も真面目で却っておかしく感じる。セットを多用しているのだが、書割がむちゃくちゃしょぼいのが残念である。敗戦後4年ではこんなものか。
#49「阿片戦争」マキノ正博/1943/東宝/Aug. 12/ラピュタ阿佐ケ谷★
あれ?以前観た記録では1942年作品になってますね。1943年の方が正しいようです。1月公開のようなので予定が少し狂ったのかもしれません。これは阿片戦争100年を口実に製作された対英(対連合国)攻撃映画です。冒頭で大英帝国の横暴な東進が説明されるのですが、ユニオンジャックが掲揚されると“海賊旗”のテロップが…。主役は市川猿之助で広東総督の林則徐、その懐刀に河津清三郎、河津と恋仲になる支那娘に原節子、原の妹が高峰秀子、イギリス人エリオット兄弟は青山杉作と鈴木伝明、そして《阿片吸引者》に菅井一郎。原節子のダンスは見られるし、デコちゃんの唄も聞けます。“風はどこから吹いてくる〜♪”音楽は服部良一です。映画の表面上のメッセージはともかく、一級のエンターテイメントでマキノの才能は全開ですね。
#48「巨人傳」伊丹万作/1938/東宝/Aug. 5/ラピュタ阿佐ケ谷
伊丹万作の遺作。僕の嫌いな某野球チームの話ではない。大河内傳次郎=ジャン・バルジャン,原節子=コゼットという組み合わせの『レ・ミゼラブル』である。舞台を明治維新直後の南九州に設定することにより激動の社会背景をうまく再現している。原が結婚するところで映画は終わり、原作のように大河内が死ぬまでは描いていない。この辺りは監督の趣味か。本作品に限らず、大河内はオロオロする演技がうまいと思う。原はやはり若いこともあって誰が見てもダイコンだ。公開時にはすでに日中戦争が始まっており、フィルムの冒頭にも戦意高揚のメッセージが入っていたが、状態はかなりよかった。フィルムの保存状態の善し悪しは会社にもよったのだろうか。あまり上映の機会のある作品でもないようだけれど。
#47「河内山宗俊」山中貞雄/1936/日活京都/Jul. 29/ラピュタ阿佐ケ谷★
この間フィルムセンターで観たときは何が何だかわからないまま出てきたのだが、きょうのは全く別のプリントの上、狭い劇場でスピーカーがすぐそこというのも幸いしたのかほぼすべてのセルフが分かるという快挙。映画を観たと実感できた。この劇場に来るのは、というか阿佐ケ谷で下りるのは初めて。今回“日本映画遺産 女優 原節子”と銘打ち合計20作が上映されるという素晴らしい企画をやるというので、はるばる出向いたのだ。(今後何回行けるかは?) いまも浄妙寺で隠遁生活を送っている原節子。伝説となるためには絶頂期での引退とその後の徹底した芸能界に背を向けた生活(あるいは早すぎる死)が必要なのか。しんどいなあ。まあご本人は伝説になりたくてああやっているのではないだろうけれど。さて、本作は『人情紙風船』と同じく、河原崎長十郎と中村褶右衛門のコンビが主役。幼気な原節子(まだ十代)を救うため命をはる二人を、ギャグを適度に折り込みながら活写する山中貞雄の演出はやっぱり、いいもんだなあ。
#46「ギャベ」モフセン・マフマルバフ/1996/イラン=仏/Jul. 22/三百人劇場
観る前は題名からキャベツをなんとなく連想していた。観始めてすぐそれがカーペットであることを認識した。じーさんとばーさんが出てきて青いギャベを洗うのだが、そこに若い女性が現れ、ギャベと名乗る。じーさんはギャベに話しかけるのだが、第三者の目からは彼女が確認できない。どうやらギャベはそこには実在していないらしい。お昼にビールを呑んだ僕の脳髄はそこで思考を拒否し休止状態に…。というわけで以下はなんの裏付けもない憶測。映画で展開される遊牧民のひとりとして移動するギャベとそれを追う恋人の物語はじーさんの若いころの夢想で、ばーさんはギャベの成れの果てだったのだ。じーさんはその恋人と同様に狼風に吠えてたし。まあ、これが合ってようが間違ってようが大した問題ではない。マフマルバフが描きたかったのは《色》なのだから。
#45「醜聞 スキャンダル」黒澤明/1950/松竹大船/Jul. 15/フィルムセンター
フィルムセンターの混み具合を見るとどうやら日本人は小津よりもクロサワが好きらしい。僕は露骨な説教臭さについていけないことが多いです。これもそのひとつ。臭い、実に臭い。以前観ているのだが元李香蘭の山口淑子が主演しており、夏の偽満洲国旅行を前に奥さんが“これも観たい”と急に言い出し特にすることもなかったので付き合うことにしたもの。“恋はオートバイに乗って”なんて気の利いたコピーを思いつくとは、小澤榮太郎にしてはすごいじゃないか。やはり『あの娘と自転車に乗って』の邦題を考えた人は、これを思い浮かべたのでしょうか?
#44「野良犬」黒澤明/1949/新東宝=映画芸術協会/Jul. 15/フィルムセンター
確かに観た記憶があるのだがSherlockで引っ掛からないぞ。おかしいな。手帳に付け忘れたのか、Sherlockが腐っているのか…。“暑い映画”として有名だが、デリーでカレーを食べるのに時間がかかったために最前列で観る羽目になり(とにかく混んでいた)、首の痛さで暑さを感じるどころではなかった。そのため(断言)、高堂國典や菅井一郎が出てくる重要な場面でうとうとしてしまった。ま、いいか。“暑い映画”なら『浮草』とか『欲望の翼』とかの方がいいな。特に後者は張曼玉と劉嘉玲のにじむ汗がいいんだ。
#43「M:I-2」呉宇森/2000/米/Jul. 15/日本劇場
すっかりハリウッドの監督なので“ジョン・ウー”と表記すべきかもしれないが、歴史的経緯から“呉宇森”のままとしておこう。スケールはバカでかくなっても彼の記号のいくつかは健在。スローモーション,鳩,女性の薄っぺらな描写。ハリウッド映画に付き物のカー(バイク)・チェイスではバイクも踊る。一方で、なくなったものは2丁拳銃ぶっ放しと男の友情。女も男の友情も描かず、じゃあ何を?主人公の内面?いいや。要はヒーローが悪を倒す過程をいかにかっこよく見せるかなのだな。もしかしたら次回作はもう観ないかも。冒頭、休暇中のイーサン・ハントがロッククライミングをするシーンは観ていて掌に脂汗が出てきた。(高所恐怖症なのだ。)
#42「フォーエバー・フィーバー」グレン・ゴーイ/1998/シンガポール/Jul. 8/恵比寿ガーデンシネマ
李小龍に憧れる張學友そっくりの青年ホック(『ハイリスク』か?)が『フォーエバー・フィーバー』なる『サタデーナイト・フィーバー』のパチモンのような映画を観てダンスに目覚め、賞金$5,000を目指すお話。完全な娯楽作品なので話の展開は紋切どおりでわかりやすいし、なんといっても聞き憶えのあるシングリッシュによる会話が楽しい。オッケーラー。1977年の話を20年後のシンガポールでロケするのは大変である。背景に新しい風物が見えるのもご愛嬌だ。ただ、ダンス教室の先生がインド系なのはギャグのようだったが、いまやダンスといえばインド、なぜインド系だとおかしいのか理解できなかった。その先生によるきょうの格言:“The more you shake, the more you make.”うーん、なるほどなるほど。(なにが、なるほどだい。) 公開初日にもかかわらず、颱風が過ぎてから出かけたのでうまいことぴあ探検隊がいなくなった後。平和な午後だった。
#41「ソー・クロース・トゥ・パラダイス」王小帥/1998/中国/Jul. 5/東京国際フォーラム映像ホール(PFF)
きのうは土砂降りだったが、きょうはなんとか天気はもち客も心なしか多かった。王小帥の第3作にして初めて検閲を通過したものだという。カラーでヴィスタサイズだしドルビー・ステレオ。第1作と比べると、なんという贅沢。あの田壮壮が絡んでいるらしい。(自分でも撮ってくれ、田先生。) でも撮影はまだインディペンデントしてましたね。『スパイシー・ラブスープ』のおもちゃで夫婦の倦怠期を克服するおじさんが、金と女が元で殺されるチンピラを演じるのに慣れるのにやや時間がかかった。ビターズ・エンドの配給で公開が決まったそうだが、『ルアンの歌』というまことにダサい邦題は何とかならんのかな…。
#40「ザ・デイズ」王小師/1993/中国/Jul. 4/東京国際フォーラム映像ホール(PFF)
画家カップルの、売れないことから来る日頃の鬱積が重なり、なんとなく破局に向かいながら互いにそれを口にしない冬。女は去り、男は部屋でなにもしない春。そして男は、近くの学校のガラスを割って廻る。国産のモノクロフィルムとライティングの具合が憂鬱な気分を盛り上げる、いかにも処女作らしく、いかにもアングラで、いかにも低予算な作品でした。(誉めてます。) のっけのベッドシーン(死語?)などはこれが中国映画とは思えない大胆さ。(早まっちゃいけない、露出度の話じゃないです。) 天安門から4年の中国の検閲は通らないだろうなあ。そうそう、女がニューヨークに電話をかけるとき「うーいーりん(510)」とオペレータにいってたけど、ニューヨークだよ、ニューヨーク。(パチンコ屋じゃありませんよ、ほんとのニューヨーク。) 市外局番は510じゃないと思うんだけど。
#39「あの子を探して」張藝謀/1999/中国/Jul. 1/ル・シネマ1★★
星を1つにするか2つにするか迷ったが、やはり2つにした。これはエンディングで中国の教育事情を訴えるキャプションが入るのが余計に感じ、出資側の意向があってそれを呑んだのではと思ったからだが、僕の単なる妄想かもしれないので。13歳の先生を含む子供たちが皆素晴らしい。つまりこれは、彼ら/彼女らの自然なふるまいを引きだす演出が素晴らしいということでもある。実際の街で隠し撮りのような形式で撮ったと思われるシーンとか“やるな”と呟かずにはおれない(総長風)。先生の女の子の器量が悪いのもハオーッである。子供映画といえば侯孝賢、最近はイラン映画を想起しがちだが、なかなかどうして中国もやるもんだ。陳凱歌が海外資本でどんどん変な方向に向かう中、張藝謀には外国資本でも地に足をつけて製作活動を続けていただきたい。期待してます。
#38「白い花びら」アキ・カウリスマキ/1998/フィンランド/Jun. 24/ユーロスペース2
《20世紀最後のサイレント映画》というキャッチフレーズだが、厳密にはサイレントではなくサウンド版。完全に画面と連動した音楽や効果音が入っており、人間の会話だけが字幕で示される。かなり遊びで作っていることが窺えるが、内容は暗い。警察署内の黒板に“Arrest this man! Sam Fuller”と書いてあるのは、シネマ・クレイジーの虫がうずうずした結果だろう。ところで…見たぞ、見たぞ。ぴあ探検隊の生態。彼らは上映が終了する前まで、映画館入口近くに集って話をしているのだ。赤いキャップを脱いでいるので一見してもそれとわからない。気をつけましょう、あなたのすぐ横にも彼らが潜んでいるかもしれない。
#37「クレイジー・イングリッシュ」張元/1999/中国/Jun. 24/BOX東中野
中国で“瘋狂英語”なる独自の英語教育をぶち上げ、カリスマ的にそのブームを拡げている李揚の活動を追ったドキュメンタリー。彼の主張にはいちいち納得できるところがある。日本にも進出してはどうかな? あ、目的は中国が儲けることだから、そんなことはあり得ないか。彼は《1937年》の写真をコレクションして小学生に見せる。“中国が弱いからそういうことになったのだ”と、強くなる必要性を知らしめるためだという。英語教育にそんなことまで持ち出さなくても…と少しでも思ってしまうのは、日本人として恥ずかしい限りだ。さあ、みんなで I wanna be crazy。SEVEN, ELEVEN, いい気分♪(古いですね)
#36「沈む街」章明/1996/中国/Jun. 17/シネマ・ベティ★
不思議な魅力のある映画だ。ストーリーとしては不完全でかなり消化不良を起こしそうなものだが、実際には妙に落ち着いてエンディングを迎えた。すべては河底に沈んでしまうのだ、あれこれ考えても無駄なことだ。ダム計画のある峡谷の街で、旅社に住み込みで働く未亡人。河をゆく船のための信号を制御する、街の対岸に暮らす独身の信号守。もう少しで結婚する公安の男。それぞれの挿話を重ねるオムニバスかと思っていたら、途中から3人が絡んでくる。3人は同じ魚を食べる。同じ場所に住み、運命を共にする証である。中国のゴダール?アレよりよっぽどとっつきやすいぞ。今後も楽しみだ。
#35「フルスタリョフ、車を!」アレクセイ・ゲルマン/1998/仏=露/Jun. 17/ユーロスペース1
スターリンによる暗黒政治時代末期の脳外科医兼少将の数奇な運命を描く、グロテスクで不潔でいかなるギャグも面白くない、なんとも不快な映画。モノクロ作品で、光にこだわった映像は、冬のソ連を舞台にしながら寒さがなぜか全く伝わってこない。監督のねらいは何なのか?そして、例によって映画館の前で赤いキャップをかぶって待ち構える、ぴあ探検隊。あんた達のねらいは何なのか?アンケートするなら自分たちもその映画観た後にすればいいのに。アンケートといえば、よく街角に立っているおばさんアンケート。あれはなんでしょうか?一度、アンケートに答えた若者がビルの中に案内されていくのを見たけど、やはり何かアブナイ関係なのかな?
#34「スパイシー・ラブスープ」張楊/1998/中国/Jun. 12/シネマ・ベティ
おかしーなー。僕は『黄色い大地』を観にはるばる黄金町にやって来たのだ。それなのになんでー?(GT88風) 中国電影第五世代爆発の力みなぎる『大地』、恥ずかしながら未見だったので15年ぶりに一念発起したはずなのに… やっていたのはこれだったのだ。チラシを確認するとどうやら僕の頭は一週間遅れているらしい。まあ、本作品だって1998年の東京国際映画祭で観そびれてたわけだが、こんなの先週衛星劇場でやってたじゃないか。自己嫌悪である。相変わらずここは客層が悪いな。映画観ないじーさんは追い出してくれ。とにかくここまで来たんだからただでは帰らないぞ。チャオタイで極上タイ料理をテイクアウトだ。少し幸せが戻った。
#33「人情紙風船」山中貞雄/1937/P.C.L./Jun. 10/三百人劇場★
“『人情紙風船』が山中貞雄の遺作ではチトサビシイ。負け惜しみに非ず。”と遺した山中貞雄。まったくである。この人には長生きしてもらって、カラーとかスコープとかもがんがん撮って欲しかった。改めて観てやはり傑作としかいえないのだがとことん暗いこの作品。特に暗いのが浪人ウンノの奥方である。あそこまで暗く演じるのは辛んどかろう、と妙に感心してしまう。さて、この劇場ではよく諍いの起ることは前に書いたがこの日ついに暴力沙汰に遭遇した。会場を待つ行列で“割り込むな”“割り込んでないわい”と男二人やりあっていたが、しまいに一方が他方を傘で殴るという行為に至った。やめてくれえ。困ったものだ。
#32「丹下左膳餘話 百萬両の壺」山中貞雄/1935/日活京都/Jun. 10/三百人劇場★★
これぞ映画だ。シナリオ、キャスティング、演出。完璧である。特に絶妙のタイミングで繰り出されるギャグが凄い。大河内傳次郎の丹下左膳は人情味溢れて、涙が出るほど。せっかくニュープリントしたのだから、“山中貞雄全作品DVD BOX”を是が非でも出していただきたい。これで思いだしたが小津作品のDVD化はどうなってるんだ?10年かかるか20年かかるか…(もっと早くね)
#31「月の出の決闘」丸根賛太郎/1947/大映京都/Jun. 10/三百人劇場
敗戦後数年間、チャンバラはGHQの検閲を通らなかったはずだが、僕の勘違いでしょうか? そういえば傾向映画っぽい面もあったし、とても検閲されているとは思えないな。坂東妻三郎は滅法強い用心棒で、民衆を説得して博奕から足を洗わせている学者をやっつけようとする。が、逆に諭され、学者が邪魔なため陥れようとする悪郡代・東野英治郎とその部下に対して月の出る祭の晩にひとり立ち向かう。(いけない、ただの《あらすじ感想文》になってしまった。) “友達になりたい”とか“うん”とか言わんだろう、この時代に。
#30「河内山宗俊」山中貞雄/1936/日活京都/Jun. 3/三百人劇場
天才にして小津の親友・山中貞雄の作品は彼がアホな侵略戦争の犠牲になったためたった3つしかない。他の2本は観ている(『丹下左膳餘話 百萬両の壺』と『人情紙風船』)が、これは未見。たまにTVでもかかっていたし、十五歳の原節子だって出ていることを知ってはいたのだが、なんとなく機会を逃してきた。で遂にその時がやって来たのだが… 不覚にも寝てしまった。だってセリフが全然聞き取れないんだもん。まったく映画をなんだと思っているんだ、この国は。今回の特集では『壺』もやるが35mmニュープリントということでこちらはセリフが聞き取れるらしい。リターンマッチだ。
#29「春秋一刀流」丸根賛太郎/1939/日活京都/Jun. 3/三百人劇場★
《宮川一夫特集》にひきつづき《丸根賛太郎特集》が始まった。これまで丸根作品は『天狗飛脚』と『一本刀土俵入』を観ただけだと思う。『天狗』はむちゃくちゃ面白かった記憶があるので、評判のいい本作も期待していた。冒頭の喧嘩をめぐる笑いで誰でもいやおうなしに片岡千恵蔵演じる浪人のファンになってしまうに違いない。コメディからトラジディへと突き進んだ末のエンディング。ここのひねりも好きだ。それにつけても轟由起子の若いときを見ると、こんななのに20年後は…と余計な心配をしてしまう。
#28「手をつなぐ子等」稲垣浩/1948/大映京都/May 27/三百人劇場
笠智衆という役者はよく先生(本作では“訓導”とクレジットされていた)役をやらされている。『みかへりの塔』とか『父ありき』とか。本作では、精神薄弱児や屈折したいじめっ子を自分のクラスに積極的に受け入れ伸び伸び育てる、歯が浮くほど理想的な教師である。こんなでも笠智衆が演じると納得してしまうから不思議なものだ。この劇場の最前列にはよくキレル男(どうも複数に思える)がいて、僕も以前鞄を舞台に置いたら“視界に入って目障りだ”と文句を言われたことがある。(もちろんスクリーンからはだいぶ離れているのにだ。) きょうは2回とも最前列(この劇場ではここがベストポジションなのだ)に座ったのだが、2回とも隣に座った人がコンビニ袋をちょいとガサガサさせたり足を組んだりして、男に猛烈に文句を言われていた。足を組んでいた奴も謝りもせず問題だったが、物騒な世の中、事は穏便に済ませたいものである。
#27「越前竹人形」吉村公三郎/1963/大映京都/May 27/三百人劇場
“映画は大映”である。この特集では上映前に『陸軍中野学校』の予告篇がかかるのだ。これがなかなか楽しい。あんな真面目そうな加東大介はなかなか見られるものじゃない。さて本編。遊女の若尾文子が借金を返して純朴な竹細工師に嫁いでからの悲劇(それまでも幸福とはいえなかっただろうが)を宮川一夫の斬れるキャメラが追う。やっと幸福になれるかというところでお決まりの事件が起きる。西村晃がしようもない奴なんだ。助さんにつまみ出させるぞ。脇ではあるが重要な船頭役の中村鴈治郎が流石のいぶし銀だった。
#26「ある殺し屋の鍵」森一生/1967/大映京都/May 20/三百人劇場
日活系のTVチャンネルNECOでは今月、本作品とこの前作『ある殺し屋』が放映される。現に今、目の前で『ある殺し屋の鍵』を放映中で、もちろん録画中である。じゃあなぜわざわざ映画館に金払って観に行くのか?というような問いには、暗闇で大画面に集中するのがいいのだ、くらいしか答えようがない。そういうものだ(村上風)。このシリーズは市川雷蔵主演。表向き板前あるいは踊りの師匠、実は凄腕の殺し屋というかっこいい役を演じている。しかし、金を積めばどんな仕事でもやるくせに、裏切った奴を執念深く追い回したりするのがいかーん。プロフェッショナルに徹しないとNo.1にはなれないぞ。
#25「夜の河」吉川公三郎/1956/大映京都/May 13/三百人劇場
最近割によく吉村公三郎作品がかかっていて観ている気がする。本作は彼のはじめてのカラー作品。色へのこだわりがとことん追及されていて呆れるほどだ。中では、宿屋での赤い薄明かり場面が素晴らしい。(そうです。これは宮川一夫特集の一環でした。) 妻子ある大学教授を好きになる染め物屋の娘をさまざまな着物の七変化で演じる山本富士子の出世作でもあるそうだ。京都弁で話す姿は『彼岸花』と変わらない。あれが地なのか。
#24「ボクの、おじさん」東陽一/2000/シグロ/May 13/銀座シネパトス
生のつみきみほを見るのは彼女のデビュー作『精霊のささやき』の舞台挨拶以来だ。今回も舞台挨拶だったのだが、この劇場で前から2列め、ということはかぶりつき同然である。もう子供もいるというのにその美しいこと。ふかっちゃんにつづくナンバー2の座は揺らいでいない。さて『絵の中のぼくの村』に続く本作は、舞台がまるで内灣のようで(実際には熊本県)、またまた侯孝賢作品を思いださずにはいられない。川、橋、一両編成の列車(一両でも列車か?)…。感受性の豊かな主人公(おじさん)はしばしば夢想的な世界に没入するが、この映画の中で最も非現実的なのは、警察で刑事が使っているPowerBookだろう。
#23「花火降る夏」陳果/1998/香港/May 6/ユーロスペース1★
香港返還3部作の2作目(1作目『メイド・イン・ホンコン』,3作目『リトル・チュン』)。これが一番好きだな。香港回帰に関連する実際のイベントを背景に、仕事を失った元英軍香港人の袋小路をエネルギッシュ(便利な言葉だ、意味不明)に描写。撮直しの効かない分だけ緊張感が増すよね。ま、編集でいくらでも誤魔化せるだろうけど(実際、これは映像コラージュ作品である)。兄弟とやくざの娘が車に乗っているシーンが最高でした。さて、記憶を失った兄はこのまま過去を忘れて生きていくのでしょうか?
#22「現実の続き夢の終わり」陳以文/2000/日活/May 5/シネ・リーブル池袋
Jam』に続いての陳以文の作品はチーム・オクヤマから。奥山氏には口は出さずに金だけ出して欲しいものです、と祈りつつ幕開け。見れば、スタッフも出演者も主演の水野美紀を除けばほとんどが台湾電影界の主要人物(顔正國には驚いた)。こりゃ奥山氏の口も少しは必要なのかもしれません。内容はかなりハードボイルド入っていて、復讐を淡々とこなす水野が不錯、不錯。ひとえに陳以文の演出の賜物でしょう。新しいこの映画館は、ロビーが狭くていささか窮屈ですが、整理券制だしシートも深くスクリーンが高めなので、これも不錯、不錯。
#21「ぼくは歩いてゆく」アボルファズル・ジャリリ/1998/イラン/May 5/銀座テアトルシネマ
7本のキャンドル』のジャリリの新作(?)が登場。麻薬中毒の両親が召集令状怖さに出生届をしなかったために戸籍がなく学校にも行けず苦労して働く少年を、例によってドキュメンタリー・タッチで追う。戸籍制度がある国で戸籍がないって大変だよなあ。国民じゃないんだもん。東京のど真ん中に住んでるあの一族も国民じゃないけど、優遇されてるよなあ。健康保険はどうなっているのかなあ?(ばかなこと考えちゃいますね。) 銀座テアトル西友は名前は変わったものの、アナウンスのテープを始めほとんどが元のままでした。場内で飲食ができるようになってたけど。
#20「千羽鶴」吉村公三郎/1953/大映京都=近代映画協会/Apr. 22/三百人劇場
名キャメラマン宮川一夫のレトロスペクティヴが始まった。宮川は大映社員だったのでおおかた大映作品なのだが、彼の最高傑作『鴛鴦歌合戦』は日活である。日活に入ったところ、国策で映画製作会社が大映に統合されて、そのまま大映社員になったのだ。それはさておき、本作品は川端康成の同名小説を新藤兼人が脚本を書いて吉村公三郎が映画化したもので、例によって音羽信子が出演している。それはさておき、森雅之が煮え切らない伊達男を相変わらず好演、対する木暮実千代も純粋というよりは執念の元妾を熱演。そして怨念の塊を演じてこの二人を圧倒していたのは杉村春子である。関係ないけど、あの頃は円覚寺もただで入れたんだなあ、と妙なところに感心。
#19「ブック・オブ・ライフ」ハル・ハートリー/1998/米/Apr. 15/アップリンク・ファクトリー
ヴィデオ作品。1999年12月31日、ハートリー映画の常連・マーティン・ドノヴァン扮するイエスが人類を救うために再び復活し、『ヘンリー・フール』でいい味出してたトーマス・ジェイ・ライアン扮するサタンと《命の書》を巡って争う。《命の書》と呼ばれるものがPowerBook Duoだったのが笑えた。こうして僕たちが無事に2000年を迎えているのはPowerBookのラッチが開かなかったからだと知っているのは、この作品を観た者とこのメモを読んでいる人だけです。ありがたいことです。(実は少し眠ってしまったので、大きく履き違えているかもしれません。その場合はごめんなさい。)
#18「瑠璃<ガラス>の城」張婉[女亭]/1998/香港/Apr. 15/岩波ホール
香港のこういう典型的明星映画を随分観ていなかった気がする。実際には去年の11月に『君のいた永遠』の記録があるのだが。主演は黎明と舒淇。彼らの20年にわたる恋が、彼らの死によってもたらされる彼の息子と彼女の娘の出逢いに重ね合わされる。一度は別れた二人が再会するところが『ラブソング』を連想させたりもするが、映画としては残念ながら並。時間の移行の仕方がいかにもだし、それによって何がいいたいのか。1990年代始めに、エリクソンがあんなに薄い携帯電話を作っていたとは、稀に見る、驚きですね〜え((C)高橋貞二)
#17「スペーストラベラーズ」本広克行/2000/フジテレビ=東映=ROBOT/Apr. 8/丸の内東映
映画を観に行く理由にはいくつかある。監督が好きだから、連れが観たいと言うから、むちゃくちゃ暇だから、and so forth。今回は、お気に入りの出演者が出ているから、というのがそれだ。ふかっちゃん(深津絵里)のことだ。じゃない限りこんな商業主義の塊のような映画は絶対に観ない。あの声を聞き、鼻にしわを寄せている表情を見ていると幸せになれる。現在は地上波TVが見られない環境にあるため、『きらきらひかる』のスペシャルだって《ぴあ》のTV欄で放映されることを知るだけだ。とにかく、映画の中身なんかどうでもよいのだ。パクリが一杯? そうだったかもしれないが、ほとんど気がつかなかった。『明日に向かって撃て』くらいだ。あと渡辺謙がMr.ビーンだったな。(おそらく)パクリの対象の映画をほとんど観ていないというのも原因だろうけど。
#16「ニコラ」クロード・ミレール/1998/仏/Apr. 7/シネスイッチ銀座2
この監督は僕のお気に入りのひとりだ。『死への逃避行』がいまのところベストだが、おフランスの匂いが漂うロー・トーンの画面と、ちょいと精神がいかれた人間の描き方が、なんというか波長があう。今回は、父親に溺愛された結果不安症となり、父親の死を秘かに願い妄想に堕ちていく少年の話。ほら、これもおもしろそうでしょ?
#15「暖流」吉村公三郎/1939/松竹/Apr. 1/シネマ・ジャック
戸田家の兄妹』と『按摩と女』を足したようなキャストが楽しい。水戸光子が桑野通子ならば完璧である。水戸光子、変な名前だ。いやじゃなかったのかな? 話は佐分利信と高峰三枝子の一種のすれ違いメロドラマ。高峰を狙うプレイボーイ医者を徳大寺伸がなかなかようやりよる。高峰の鎌倉山の別荘が頻繁に出てくるが、昔の鎌倉山はやはり豪勢だったんですね。まあ、今だって十分ハイソな場所だけれど。ところで久しぶりにこの映画館に行ったけど、オウムの横浜支部がすぐそこにあることがわかりました。もともと怪しい場所だったけれど、これで更にハクが付いたってもんだ。
#14「ナイフ」レ・ホアン/1995/ヴェトナム/Apr. 1/シブヤ・シネマ・ソサエティ
こないだからモーニングショーで小津をかけている粋な映画館がある。それがここ。もう少しでオープンの渋谷マークシティの裏、台南担仔麺の裏、普通の人は行かないところにある。今回ヴェトナム映画祭(といっても3本しかやらない)とかで、その1本目を観に行った。入場時にヴェトナム・クイズとかあったりしてビビる。(無事当たってよかった。) 作品はヴェトナム戦争時、あるキリスト教徒の村で起った悲劇を描いたものだが、いやあ参った。30年くらい前のTVドラマみたいな。とても付いていけなかった。主演女優がかわいかったので、それだけが救いである。アーメン。
#13「フェリシアの旅」アトム・エゴヤン/1999/英=加/Mar. 18/シネマライズ
スウィート ヒアアフター』のエゴヤン、またまた閉塞感たっぷりの寒々とした世界を見せてくれました。今回は北アイルランドとイングランドはバーミンガムが舞台。主な登場人物はたったの2人。自分を妊娠させたうえ英国陸軍に入隊した男を追って北アイルランドからフェリーに一人乗ったIRA一家の娘・フェリシア。(といっても政治的な話は以後ありません。) バーミンガムで途方に暮れる彼女にやさしい声をかける中年男・ヒルディッチ。ヒルディッチの素性が徐々に明らかになっていき、幼気な少女に危機が迫る。おーこわ。加えて登場するエホバの証人のような団体のおばさんも不気味でした。関係ないが、公開初日に小屋の外で待ちかまえるぴあ探検隊(?)、なんとかならんかなあ…。
#12「榕樹(ガジュマル)の丘へ」胡炳榴/1997/中国/Mar. 11/キネカ大森3
1998年の金鶏賞を取っているらしいが、僕にいわせれば劣悪な出来。臭い芝居の主役のおばあさんも気に入らない。しかし、作品で扱われる親子の思惑のすれ違いという主題は、単なる紋切型として切って捨てることができない。それぞれの幸福を求めて生きる人間に“親と子”という関係が加わるとき、2つの幸福ベクトルの非等方性・非独立性が露呈し、その歪みが人間に悩みや苦しみや悲しみを与えるのだ。この普遍的な事実を作品を観るすべての人が再認識する。最初はヒソヒソ話して煩かった後ろの席の中年夫婦も、しまいには2人してすすり泣いていた。
#11「GO! GO! L.A.」ミカ・カウリスマキ/1998/英=仏=フィンランド/Mar. 4/シネクイント
ヴィンセント・ギャロとジュリー・デルピーが大きく写ったポスターで騙されてはいけない。彼らは主役ではないのだ。映画小僧が映画を撮るとこんな感じになりそう、を地で行くカウリスマキ兄の新作である。知っているとそれなりに楽しめる。カウリスマキ弟の『ラ・ヴィ・ド・ボエーム』まで映画中映画として上映してしまう大胆さ。久しぶりにレニングラード・カウボーイズを見た。あれ、メキシコに行けなかったんだっけ?それでL.A.で働いているのかな。ヴィンセント・ギャロはYo Yo うるさかった。あれがクールとは思えん。
#10「リオ・ロボ」ハワード・ホークス/1970/米/Feb. 29/フィルムセンター
ジョン・ウェインはすっかりcomfortableなじいさんで、派手なアクションは若いもんにまかせてはいるが、のっしのっし歩く姿は存在感の塊。懐は深いが執念深い豪快な大佐〜元大佐を演じている。役者が豪快なら演出もおおらかで、たわいもない挿話にぴょんぴょん飛びながら、最後の決戦へと映画は向かう。状態のよくないプリントが、プロットの飛躍を加速。仕事帰りでいささか疲れてて、上映前は結構眠かったのだけれど、終わってみれば一睡もする余裕はありませんでした。作品同士が共鳴するという小津的なファクターが多分にあって、違う作品を観るごとにおもしろくなるホークス作品群。お勧めです。
#9「エル・ドラド」ハワード・ホークス/1967/米/Feb. 26/フィルムセンター
リオ・ブラボー』から8年経ったリメイク作品。出来は劣るかもしれないが、前作にユーモアの要素が大幅に加わったし、ジョン・ウェインも撃たれたりして不死身ではなくなり(もちろん死んだりはしないが)、僕はこっちの方が面白かった。敵の味方になる早撃ちの男はプロフェッショナルで卑怯なことはせず、ウェインとの関係は『渡り鳥』における小林旭と宍戸錠のそれだった。そう、これはパラマウントではなく、日活作品だったのではないだろうか?この頃はもう無国籍アクションは下火だったわけだが、実はついにアメリカ国籍を手に入れていたのかもしれないぞ。
#8「戦争のはらわた」サム・ペキンパー/1977/英=西独/Feb. 19/シネ・アミューズ・イースト★★
40歳以上の男性は1,000円均一とかで、場内はおじさんで一杯だった。変な企画だ。(僕は対象外です。念のため。) 映画は期待通り傑作だった。ありがちな戦争の悲惨さとか狂気とかを訴える映画ではない。(それは当然のバックグラウンドだ。) 勲章とか階級とかそういうものを至上とする下らない、憎むべき価値観に機関銃をお見舞いするペキンパーのメッセージ。当時ン百万ドルをかけたという戦闘シーン(もちろんスローモーションを多用)は圧巻。スタイナー伍長を演じるジェームズ・コバーンが渋い。スピーク・ラーク。
#7「リオ・ブラボー」ハワード・ホークス/1959/米/Jan. 28/フィルムセンター
いきなりネタばれで申し訳ないが、この映画では主役級が死なない。スペクタクルのために多少の困難は起きるものの、最後には悪を一掃しハッピーエンドである。ジョン・ウェインが死ぬわけないけれど、その周りまで死なないとはアメリカン・ヒーロー恐るべし。西部劇にしては長尺(141分)だったが、それを気にさせないのは流石だな、ホークス。(郷エイ(字がない)治の声で読んでください。)
#6「聶耳」鄭君里/1959/中国/Jan. 22/文京シビックホール
現代中国映画上映会に出かけるのは久しぶりだ。今回は、僕が勝手に“みみよっつさん”と呼んで親しんでいる中国の作曲家・聶耳(ニエ・アル)の伝記映画。中華人民共和国の成立10周年紀念映画ということで、もちろん典型的な中共プロパガンダ映画、一種の革命劇である。話は聶耳が昆明から上海へ逃れてきたところで始まり、エピソードを重ねて彼が共産党に入党した後、身の危険が迫って日本へ出発するところで終わり。聶耳役は大スター趙丹だが、20歳くらいの役を40すぎのおっさんが演じているのでかなりトホホである。もうボロボロのプリントで、上映の中断はしょっちゅう。再映は絶望的というチラシの文句もあながち嘘ではなさそうだ。
#5「季節の中で」トニー・ブイ/1999/米/Jan. 22/ル・シネマ
以前は“ハーヴェイ・カイテル”と表記されていたはずだが、この映画から“ハーヴィ・カイテル”に変わってるのはなぜだろう?などと考えながら、彼が出資したこの作品を“ハイソおばさんの牙城”ル・シネマに観に行く。ヴェトナム戦争終結から20年が過ぎ、すっかり近代化したサイゴン(だよね?)。ここで生きる何人かの下層階級の暮らしを、表面上淡々と、その実かなりくさく描写している。主人公格のひとりであるストリートチルドレン・ウッディが登場するといつも雨が降っているとことか、ちょいと僕の趣味ではない。“ヴェトナムのゴリさん”が、ひとりの娼婦を執拗に追いかけるほとんどストーカーのシクロ運転手を静かに演じていた。
#4「暗黒街の顔役」ハワード・ホークス/1932/米/Jan. 15/フィルムセンター
傑作だらけのホークス作品の中でも屈指のできということで、以前レンタルビデオを借りて観たことがある。が、その頃はボロボロの14inchテレビで画面が暗かったことと字幕がないテープだったので、観てるうちに寝てしまい、結局よくわからなかった。今回はリターンマッチだったわけだが、前半また寝てしまった。それでも断片的には観たのでストーリーはわかったのだが、やはり作品のもつリズムとかショットのキレのようなものは掴みきれなかった。残念だ。機会があれば眠くないときにじっくり観たいものだ。
#3「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」ヴィム・ヴェンダース/1999/独=米=仏=キューバ/Jan. 15/シネマライズ★★
キューバの忘れられたアーティストを集めてライ・クーダーが制作した傑作アルバム“ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ”。その参加メンバーそれぞれの姿と、彼らのアムステルダムとニューヨークでの晴れ舞台を追ったドキュメンタリー。むちゃくちゃハッピーになれる逸品。旅のdestinationがまたひとつ増えた。でも、ハバナって何が美味いんだろうか? 全編ディジタルベータカムとハンディカムで撮られていて、それから来る機動的な画面とドルビーサラウンドにより、臨場感たっぷりだった。スタジオとコンサート会場の場面のつなぎもとても丁寧な編集で好感がもてた。ヴェンダースは『夢の涯てまでも』でどん底までいってから、『リスボン物語』で少し持ち直していた。この作品はドキュメンタリーとはいえ彼のうまさが出ていて次回作に期待を持たせる。
#2「愛と憎しみのデカン高原」ジャヤント C. パーランジ/1997/印/Jan. 8/キネカ大森2
予告篇で観た自動車爆破シーンがなかなかかっこよかったし、“デカン高原”という題名が泣かせるので、『ジーンズ』よりこっちかな、と大森に出かけた。まあ、初のテルグ語圏映画とはいえ、他のタミル語やヒンディー語ものと基本は同じである。例によって3時間近く、唄やら踊りやらアクションやらイチャイチャやら観た。残念ながら『DDLJ』から時間がたっていないので(インド映画は時定数が長い)、はっきりいって疲れただけだった。“デカン高原”から連想する哀愁性なぞ、かけらもなかったし。もう、当分インド映画は観なくていいや。
#1「一瞬の夢」賈樟柯(ジャ・ジャンクー)/1997/中国=香港/Jan. 8/ユーロスペース1★
山西省の普通の町(つまりは田舎町)が舞台の、スリ青年・小武の片想いストーリー。16mmの手持ちキャメラで撮られており、大学の卒業作品のような瑞々しさが魅力。見どころは2つ。ひとつ目は、腹痛で勤務先のカラオケバーを休んだメイメイ(美美?)を小武が見舞ってベッドで2人横に並んで会話するシーン。典型的な至福の時間だ。もうひとつは、それより前、メイメイがお腹を温めるお湯を沸かすため、やかんに水を汲むシーン。水圧の低い水道で、水が出ないため蛇口に口をあてて吸い出す。それはそれはエロティックかつ美しい画面だ。年明け早々、ええもん観せてもらいました。

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Last update: 11/24/2003

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