案件No.014:『お茶漬の味』,『彼岸花』など…役名の“節子”はやはり原節子の“節子”なのか?

小津映画の登場人物の名前は、ご存知のようにそんなにヴァリエーションがない。 節子もそんな役名のひとつである。

小津作品の“節子”をまとめてみる。

製作年 題名 役柄 俳優
1937 『淑女は何を忘れたか』 主人公の姪 桑野通子
1941 『戸田家の兄妹』 主人公・妹 高峰三枝子
1950 『宗方姉妹』 主人公・姉 田中絹代
1952 『お茶漬の味』 主人公の姪 津島恵子
1958 『彼岸花』 主人公・長女 有馬稲子
1959 『お早よう』 主人公の叔母 久我美子

節子という役名をもらえる条件は、(1)主役級であること、(2)年ごろの未婚であること(『宗方姉妹』は例外)、(3)中流〜上流家庭の娘であること(『お早よう』については異論があるかも)で、当然のように一線級の女優が演じている。

一方、会田昌江が『ためらふ勿れ若者よ』で日活からデビュウし、原節子を名乗るようになったのは1935年である。役名も“お節ちゃん”。 そして、小津の親友だった山中貞雄の『河内山宗俊』への出演が1936年。 デビュウ作はともかく、親友が起用した新進女優の存在を知らないはずはないので、遅くともこの年には原を知っていたはずである。

で、さきほどの表を見てみると、果たして“節子”の初登場は『河内山宗俊』の翌年である。『淑女は…』は、小津が庶民クラスから中上流の家庭に舞台をシフトした最初の作品であり、そんな家庭の中心的存在となる娘への“節子”という命名には多分に意味がある。(←斎藤達雄@『簪』の声で読むべし。)

また、原が出演する作品には“節子”が登場しないという事実は重要である。小津は“節子”という役名に原を意識していたのだ。

【結論】 状況証拠しかないのがちょいと辛いところだが、ここに断言する。 “節子”は原節子の“節子”、小津の原への好感の現れのひとつである。

◇◇◇

珍しくまともな(?)解答になってしまいました。:P

ちなみに“紀子”の初出は『晩春』の原節子で、以降、『麦秋』(原)、『東京物語』(原)、『小早川家の秋』(司葉子)に登場します。原の専用役名だと思われた“紀子”は、原が年を取ったことでその役目を終え『東京暮色』では“孝子”、『秋日和』と『小早川家の秋』では“秋子”に変化しました。『小早川』で司に“紀子”を授与したのは、小津の原に対する気持ちの一区切りだったのかもしれませんね。

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